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編集部が気になるあの人に突撃インタビュー

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モノづくりが好きだった少女が
モノを通して価値づくりへと歩んだ20年

美しいレースやフリルをふんだんに使用した優雅なデザインの吸水ショーツをはじめ、「女性に寄り添うモノづくり」をコンセプトにしたアパレルブランド「ÉCRU(エクル)」の代表である鈴木美穂さん。モノづくりが好きだった少女時代から、ブランドの立ち上げ、フェムテックに出会うまでの道のりについてお伺いしました。

TODAY'sGUEST

鈴木美穂

鈴木美穂

宮城県気仙沼市出身。仙台の専門学校を卒業後、上京。さまざまなデザイン職を経験し、40歳の時に独立、2022年にアパレルブランド「ÉCRU」を起業。生理の日がご褒美になる吸水ショーツから雨の日が楽しみになるレインドレス、リラックスできるご褒美ルームウェア、大切な衣類を長持ちさせる美容柔軟剤まで、モノづくりを通した価値づくりを続ける。

絵を描くこととバンドに熱中。そして憧れの東京へ。

幼少期から10代はどんなことが好きでしたか?

物心ついた時から、絵を描くのが好きでした。出身は宮城県気仙沼市で、実家は町の酒屋さんです。タバコも売っていたので、おじいちゃんが集めておいてくれるカートンの空き箱の裏に、毎日絵を描いていました。少し大きくなると油絵の画塾にも通わせてもらっていました。だから図工の成績だけは、いつも5段階評価の5だったんですよ。

高校時代はバンドの全盛期。軽音楽部に入り、大好きだった女性ボーカルバンドのコピーバンドを組み、ギターを担当していました。10代のロックフェスで、県大会まで出場したこともありました。その頃に上京を夢見るようになり、「いつか東京に行きたい…! 何でもいいから東京で自分の力を試してみたい!」と思うようになりました。高校を卒業したら、とにかく東京に行こうと決めました。でも、親にはまず仙台で修行しなさいと言われ、仙台のデザイン系専門学校に進学し、そこを踏み台に上京しました。

実際に上京してみて、いかがでしたか?

何もかもがカルチャーショックでした。東京に出て来ている友だちも少なかったので、最初は寂しかったですね。最初に就職したのはデザイン会社で、呉服店のダイレクトメールを作ったりしていました。でも、今で言うパワハラ的な社風に耐えきれず、1年で辞めることに。それから2〜3年間はフリーターとして昼間も夜も休まず常に働く感じで、朝寝て、昼に起きて、翌朝まで働くという生活でした。

バイト仲間は学生が多かったので、みんな卒業後の進路が決まっているんですよ。そんななか、私は、このままずっとこんな生活を続けるの?と焦りはじめ、とりあえず何か始めようと派遣会社に登録し、テレビ局の子会社で働き始めました。モバイル携帯のウェブのショッピングサイトを作る部署で、当時は目新しいサービスだったので、面白かったですね。

ただ、ショッピングサイトのページは1週間で更新されるんです。作ったのに消えていく。それにずっとモヤモヤしていて、私がやりたいのはこれじゃない。一生できる、手に職のモノづくりがしたいんだと、次のステージが見えてきたんです。

服はなりたい自分になれる魔法

漠然とデザインの仕事をしたいと思っていたんですが、デザインと言っても、ウェブもあれば、グラフィックやインテリアもある。やるなら、一番好きな洋服のデザインと決め、土日は服飾専門学校に通い、転職しました。

新しい職場ではどんな仕事を?

転職先は、営業兼代表が1人いるだけの新しい会社で、私は企画生産担当として採用されました。お客様は若者に人気のファッションビルに入っているブランドです。私はブランドの要望を聞き、ひたすらデザインをする日々。手書きとパソコンの両方を使いながら、キャラクターやロゴ、柄などを起こすのですが、教えてくれる先輩もいないので、すべてが手探りでした。

時々、ブランドのコンセプトが自分のやりたいこととぴったり合うと、一緒に作っている高揚感があり、のめり込みましたね。アパレルって、自分がなりたい自分になれる魔法だと思うんです。好きなアイテムが自分のクローゼットに並んでいるだけで、気持ちもすごく上がる宝箱だと思いませんか? 今日はどんな魔法をかけようか考えるだけで楽しくなる。改めて面白いアイテムだと実感しました。

大変だったことも?

もちろん、ありました。海外の工場に生産を発注するんですが、納期を守ってもらえないし、指示とは全然違うものが納品されたり、これ、どうやって直せばいいの…? と思うような仕上がりだったり…。数えきれないぐらい、心は折れました(笑)。それでも、スキルだけはものにしようと、気づけば10年。注文をこなしながら、自分だったらこんなデザインにしたいという思いが日々積み重なって、いつか自分のブランドを作りたいという目標ができました。

退職から1ヵ月後、戸惑いながらも起業

長年働いた会社を辞め、ブランド「ÉCRU」を立ち上げるまでにはどれくらいの準備を?

実は1ヵ月です(笑)。会社に退職の意思を伝えたところ、思いがけず翌月の退社を提示されて…。でも、「もうやるしかない!」と右も左もわからずに、とりあえずネットで『起業の仕方』と検索したら、『5分で起業ができる』がキャッチフレーズの会計ソフトのページがヒット。サイトの手順にのっとって、無事に開業を。怖いもの知らずでしたね。

そこからは、大急ぎでオフィスを探し回り、ようやく月2万円のシェアオフィスが見つかりました。そこで、一緒についてきてくれた後輩と二人で「こんなデザインがいいね」「あんな服が作りたいね」と相談しながらひたすら型を作り、サンプルを作り、ホームページを作りました。しかし、徐々にそのオフィスでは手狭になって来てしまい、4ヵ月後には北参道の八畳一間のアパートに引っ越しました。今思うと、そこもすごく狭かったですが、思う存分に洋服作りができる最初のお城でした。

念願のブランド誕生。反響はいかがでしたか?

それが、いざ蓋を開けてみたら何も売れない。お披露目の仕方もPR方法もわかりません。何より、ブランドイメージが固まっていなかった。自分は、ブランドを通して何を伝えたいのだろうと考えることから始めました。

そこで行き着いたのは、自分はモノづくりを通して、価値づくりをしたいんだということ。前職で、洋服は作って売って残ったら破棄するというサイクルに、ずっと釈然としない思いを抱いていましたから。

フェムテックとの出会い

今度こそ、消えゆくものではないものを作りたいと。

そうです。自分にとっての価値づくりを探る中、2022年頃にフェムテックという言葉が気になり出して、吸水ショーツの存在を知りました。私は経血量が多い方なのですが、実際に使ってみると、意外と大丈夫。それからフェムテック系の展示会などに足を運び、デリケートゾーンのオイルなど、さまざまなアイテムがあることを知り、市場がとても拡大していることに驚きました。

ここで、自分の価値づくりができるかもしれない。自分のブランドで作ってみたいと思った大きなきっかけになりました。

編集後記

高校時代はバンド活動に没頭したという鈴木さん。ブランドを立ち上げた時の勢いは、10代のそのパッションと同じなのかもと感じました。後編では、フェムテックと出会った鈴木さんが開発した唯一無二の「大人可愛い」アイテムについて伺います。


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